無為

電車が揺れるのはレールとレールのあいだが離れているためらしいです。というわけで僕は、電車で通学しています。朝は眠い。以前は電車で寝ていることが多かったのですが、さいきんはあまり寝ていません。電車に揺られながら思考にふけると、眠くならない。レールとレールが離れているのも捨てたものじゃない。暑いとのびちゃいますからね。あと、だらりとたれている電線をみて、きみはだらけているのかい、ともいいたくなりますが、よく考えられてのことなのです。柔軟な対応をするには、ゆとりが大切なのです。
閑話休題ですか? なぜ眠くならないのか。考えてしかいないからだと思います。インプットでもアウトプットでもない、シェイクしてるです。これって自然な感じなあれだと思うのですね。インプットは他者から自分への解釈、アウトプットは自分から他者への翻訳、そういう、強引な面があるのです。強引というのは、あるがままでは済まないということです。それが学習であり、成長なんかでもあったりします。でもまあ疲れるわけです。
シェイクは長続きしないですね。そうするとインプットに移ります具体的には本読みます。これがいままでなら眠気のきっかけだった。さあ朝から書を読みわたくしは学ぶのである、と意気込んで、強引にインプットしてうとうとかくんかくん。意識が薄い。これって悟り? 「じつは読めてる」くない? あれ、夢? いや、読んでる読んでる。で、電車降りるだろ。あたまには何が残っているよ。はじまりがいけなかった。ひとは眠たい状態ではじまる。毎日、毎日だ。おのずとあるべきこと、目覚めること。なにをすればいいか、すなわちなにかをしてはいけないということ、しかしなにもしないことではないことを僕は知っている。