二ヶ月の学習がプリント一枚半におさまる衝撃

僕の数学の先生の話。受験の近づいたいま、「復習すべき良い問題」の「ストック」を強調している。きょう「秒殺チェックプリント」というのが配られた。一項目に三秒かけて、合計五分で数Ⅲの復習ができるものだ。「夏休みの後期課外からいままで二ヶ月かけてやったことが、プリント一枚半におさまるんです」というような言葉が印象に残った。まったく個人ニュースサイト運営と同じである。その域には達していないが。
二ヶ月が一枚半におさまることに衝撃を受けた。学習において衝撃を受けることはすくない。僕がいまやっている学習って、じつはものすごいじゃないか、というときに衝撃を感じるのだろうか。これを読んでも感じた。だいたい英語のネイティブ・スピーカーだって、ティム・オライリーの最新論文のいちばんいいところを抜き出して暗唱したりしている奴はいないよ。だから日本人が、自分のやっていることを説明する中で、オライリーの文章をそのままはめ込んでしゃべったら、おっ凄いなこいつ、ってことになるでしょう。(梅田望夫)
暗記なんて中学生のやること、なのか。中学生のころに比べてずいぶんと暗記しなくなった気がする。なぜなら意味づけして理解するよう心掛けているからだ、というのはうそである。たんに暗記する気力がないだけだ。あんな大変なこと、やりたくない、と思っている。『老子』を読んでいる。暗唱できたらええんちゃう、と思わせられる文章にたびたび出会う。友達と話しているときに、適所で「老子曰く『──』」と僕が発言したら、さぞかし引かれるだろう。ごめんなさい。