好きな女の子をいじめる

好きな女の子をいじめることは、よく素直になれない男子小学生の心理として表される。しかし、好きな女の子をいじめたくなるのは極めて自然なことではないだろうか、と直感的に思った。え、変態じゃないですよ。
本当は仲よくしたいのに、嫌われるようなことをしてしまう、という意味で、この男子小学生の心理は倒錯しているのだろう。なるほど、そう説明するなら、確かにこれはおかしい。嫌われることでよろこびを感じるならともかく。
もし、いじめることで嫌われず、かついじめられることで女の子の魅力が引き出されるのだとしたら、好きな女の子をいじめるという文意に一切のねじれはない。要するに「いじめる」という言葉がゆるゆるなのだ。
言葉をゆるゆるなまま遣いつづけると、いつか失敗してしまうかもしれない。言葉の意味を見失ったとき、意味の間違いに気づく方法は難しくなる。何を目指すのか。しあわせを求めるのか、苦しみを求めるのか。まずはシンプルに振り返ろう。