感想文を生成する

大学の授業で、映画をみて感想を出して終わることがあった。僕は感想がなかったので、しばらく何も考えないことをして、紙を出さずに教室を出た。一般に大学生は与えられた紙面を埋める能力を身につけている。
本を読んで記録を排出しようとしても、とくに書きたいことがなかったりする。しかし何も出さないのはもったいない感じがする。かといって、ない感想に基づく感想文に味わいがあるのか。
「感想がなかった」というスタートラインにおいて、いかにして感想文は生成できるか。ない感想から感想文を生成するアプローチ:思っていないことを書くこと。感想を生成するアプローチ:記憶を鑑賞して新しく何かを思うこと。
思っているとか、思っていないという、その境目は微妙だし自分にしか意味はないけれど、無能力者の僕に疑問なのは、能力者は感想文を生成しているのだろうか、それとも感想を生成しているのだろうか。
感想は忘れる。感想文だけ残る。もし感想文から感想を取りだせるなら、ない感想に基づいて生成された感想文は、ない感想のありさまを違和感で引き立たせる情緒がある。「ああ、そういえば感想がなかったよなあ」という情緒は、0文字の感想文からは思い出せない。「感想がなかった」を踏み切って、「感想を生成するアプローチ」に躓いてもなお、感想文の生成には自分にとっての情緒がある。「もったいない感じ」はそのせいだろうか。