選択は可能性を狭くするのか

むかしといまでは情報のカテゴライズの仕方が変わっているのを自覚する。興味の体系が変化しているともいえる。ばくぜんと、興味が狭くなったと感じる。将来、専門、意義などの視点から、興味に制約が掛かっている気がする。その一方で、深まったり、新しい結びつきが生まれたりしたかもしれない。
勉強にスケールみたいなものを意識するようになった。はやりの情報技術であれば一ヶ月もあれば結構身につく。それは情報工学の基礎とは別物でもある。職業を考えるうえで経済が重要だと感じた。いま資産やキャリアを考えるには限界がある。よくわからない、けれどおもしろい日本語を書くひとがいる。10年かけておもしろがれるようになれたらいいな、と思う。
今月のうちに勉強したいことがある。来月に学びたいことがある。学生のうちに身につけたいことがある。社会に出てからはぐくみたいものがある。そうしなければ無理である、と感じるのは、単なる甘えだろうか。

知っておきたかったこと --- What You'll Wish You'd Known

時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。面白いと思えて、選択肢が増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

(中略)だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。「風上をめざせ」。

やりたいことを明確にするほど、可能性を絞っていくように感じる。現実として、ツブシの利かない努力はたくさんあるだろう。選びたいきもちが強いほど、選ぶことをためらいたくなるかもしれない。しかし、それは「もともとある可能性」を狭めるということではない。

304 Not Modified: 習慣に組み込む技術

若いうちの特権は「やりなおせる期間があること」だけです。

今やらないということは、将来の選択肢を狭めているだけなのです。

選ばないということは、可能性が発生しないのである。選択が可能性を壊すのではない。選択によって可能性が開始する。じつは、可能性が小さくなることが恐いのではなく、可能性を恐れていることはないか。